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2015年の十大ニュース(白濱)

例年日記を見ながら、自分自身の、勤務先の、また我が家の「十大ニュース」をまとめ、発表、今年はちょっと列挙するという気分ではありません。全くの私ごとですが。
①「医療法人財団銚子市立病院再生機構(再生機構)銚子市立病院」が、今年の3月31日で再生機構の指定管理団体としての契約を終了し、4月1日より新たに「銚子市医療公社銚子市立病院」として再々出発いたしました。銚子市がM&Aで再生機構から経営を引き継いだという形です。
②4月以降、私は新体制の病院の名誉院長として外来診療を週4日担当。そこを11月30日付けで退職。骨を埋める覚悟で銚子に入ったのですが、5年7か月の銚子での生活でした。
③12月1日より晴山会平山病院(千葉市花見川区花見川)に顧問(常勤医)として勤務を開始。以上ベストスリー。
④そしてイタリア旅行。 あと6個加えて10個にしたところで、特筆すべき事もなく、「十大ニュース」というよりは「重大ニュース」でした。
 新年が良い年でありますように。また刺激的な年でありますように。
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静かな年末(白濱)

 クリスマス・シーズンにクリスマス・ソングが余り聞こえてきませんでした。ラジオもテレビも、そして巷でも。常に私が乗り換えに使う西武池袋線の池袋駅、クリスマスイブの夕方には改札口周辺にはケーキが山積みされて、売り子の声も賑やかに売っていたのに。確か去年まではそうだったような気がします。しかし今年は静かでした。
 今年もあと5日間を残すのみ、何という月日の過ぎゆくのが早いのでしょうか?銚子を離れて新職場になって約1か月、環境の変化が日々激しいせいでしょうか?やることが多いからでしょうか?年のせいでしょうか?それともただそう思うだけでしょうか?

新春講演会(白濱)

 来年の新春講演会の概要が決まりました。ご案内します。
日時:2016年1月23日(土)、14:00-16:30
場所:ヒューリックカンファレンス(JR浅草橋)
演者:
1)石原哲先生(白髭橋病院;本NPO理事)「災害時の医療連携」
2)尾立篤子先生(防医大医学教育部;本NPO会員)「パシフィックパートナーシップ2015に参加して」
3)加來浩器先生(防医大防衛医学研究センター;本NPO理事)「新興・再興感染症の動向~エボラ出血熱・MERS後の備えと対応~」
の3演題です。
なお、「一般社団法人 日本災害医療ロジスティック協会」、「一般社団法人「日本災害医療教育研修協会」、「一般社団法人メディカル プラットフォーム エイシア」が後援してくださいます。多くの方々の参加をお待ちしております。

今回の旅行の余話(白濱)

今回のイタリア旅行、銚子を離れるにあたり、新職場に勤務する前に、気分転換をしてという考えもありました。そして出発3日前に現実に起こった隣国フランス、パリでの同時多発テロ等もあり、短期間ではありましたが少し詳しく眺めて参りました。ちょっと余話的に。
1)持ち主不明の手荷物の爆破処理:丁度ローマにいたときに、中央駅であるテルミナ駅構内で持ち主不明の手荷物があり、全員退避、列車運行停止の上、危険物処理班が出動して現場で爆破するという事案がありました。今このようなやり方で現場で爆破処理ということでした。決して手荷物等を置き忘れる事のなきようと注意されました。
2)EU加盟国28カ国、加盟国いずれの国に入国しても、入国したらどの国に行こうが、国内便扱いになるということでした。行動の自由と範囲が広がった反面、その中にテロリストあるいはその予備軍が紛れ込む機会は増え、是か非は別として、陸続きで多くの国々と国境を接するヨーロッパ諸国は大変だと思います。EU加盟国に始めて入る場合の空港のピリピリ感は当然のことと思います。

カプリ島とアマルフィ(白濱)

アマルフィ1アマルフィ3<

アマルフィ2
旅行最終日の21日は「カプリ島と青の洞窟」の予定でした。
『ナポリ港から水中翼船に乗ってカプリ島に渡り、そこから小型ボートに乗り移り、「青の洞窟」の入口で、もう一度4人乗りのさらに小さなボートに乗り移って、1m四方ぐらいの狭い洞窟の入口を仰向けに寝そべって「青の洞窟」の中に一気に滑り込む』、『波があったら、洞窟の中に入れません』、『混んでいたら洞窟の前で順番待ち、旅行シーズンの最盛期には1-2時間待ちということもあります』等と、前日添乗員さんの説明。今回のクライマックス、何回も頭の中でイメージトレーニングしながら、眠りにつきました。晴れてくれと祈りながら(添乗員が祈れ!といいました)。
 当日07:50ナポリ港に小雨の中着きました。港はがらんとしており・・???。カプリ島行き水中翼船は欠航。ボー然としました。雨の中風も強く、海は波うっておりました。数限りなくカプリ島や青の洞窟の案内をしてきたイタリア専門の添乗員が「カプリ島に渡れなかったのは初めてです。青の洞窟に入れなかった事は2回ありましたが」といっておりました。自然には逆らえません。
 代わりの観光が「ポンペイ遺跡見学」で、「アマルフィ」は最初からの予定コースでした。アマルフィの岸壁には波しぶきが打ち上げられておりました(写真)。雨と曇天の下のポンペイとアマルフィ、翌日は快晴。

ポンペイ(白濱)

ポンペイ2ポンペイ4

ポンペイ3
21日(くもり、小雨) 、今回の旅行の最終日です。今まで晴れていたのに。。79年ヴェスヴィオ火山の大噴火で街全体が8-10mの火山灰で一夜にして埋没してしまったということです。1748年に街並みが再発見されて以来現在まで発掘調査が行われております。裕福な商人の邸宅、浴場、円形劇場、さらに美術品の出土やまた犠牲者の姿等が再現されております。ポンペイの大きさは山手線の内側ぐらいの大きな敷地で、2000年もの長い間、火山灰の下で街全体が眠ったままであったので、街全体が当時のまま保存されていたということです。
 ローマや他の地域で残存している遺跡等は、古代遺跡の上にその後に起こった戦争や民族の移動等があり、その度に新しい建造物が出来、街が形成され、さらに時代を経て変貌を遂げて今日に至っているということです。よって街全体というより、局所的に遺跡が残っているという状態といえます。
 一方ポンペイの場合は、街全体が保存されたまま2000年近く経って今日に蘇ったというわけです。天井は落ちておりますが、当時のままの状況が忍ばれる、素晴らしい街並みです。それにしても石の文化は凄いですね。日本は未だ弥生時代、竪穴式住居の状態の時の街の姿です。

アルベロベッロ
 アルベロベッロ1アルベロベッロ゚2
アルベロベッロ、奇妙な響きですね。マテーラからさらに70km、アルベロベッロの家並みは、今まで見てきたイタリアの石の文化の建造物と全く異なる形態をしておりました。
ブドウやオリーブ畑の丘陵地帯をアルベロベッロに近づくにつれ車窓から、話に聞いているようなとんがり屋根の小さな家が散在しているのが見え始めました。
 アルベロベッロの中心地に来ますと、とんがり屋根と白い壁の家が密集して集落をなしており、まるでおとぎの国に来たような風情。屋根にはモルタルのような接合剤は使われていないということでした。
 何故このような家が出現したのでしょうか?17世紀、当地の領主が、ナポリ王に対して住居税を払いたくないために、税金の査察使の目を免れることを目的に、すぐ壊して解体できる建造物をつくったという説明でした。屋根がないと住居ではないということです。
 お土産屋さんが並ぶ町並みのど真ん中に日本人の方がお店を出しておりました。「ようこさん」といって、日本のテレビに「こんなところに日本人が!」で紹介された女性で、12月にもテレビに出るいうことでした。

マテーラ(晴れ)(白濱)

 マテーラ1マテーラ2
 20日晴れ、ナポリからマテーラまで約250km、ナポリと反対側のアドリア海の近く。先史時代にギリシャの植民都市として始まり、切り立った崖を削るようにして石灰岩の山に洞窟をつくり、そこに住む、すなわち多層の洞窟住宅、家の天井の上に更に家があり、更にその上に家があるということです。床の下も同様、隣とも壁ひとつ。8-9世紀にイスラム教徒の迫害に追われたギリシャのキリスト教徒・修道僧達がこの地に逃れ、修道院もつくったということです。13世紀にも同様の迫害があり、その度にこの地に逃れ、更に人口が増え、最大約12、000人に達したということです。1950年代から国策として住民達が近代的街に強制的に移住させられ一時廃墟のような状態になったらしいのですが、近年再び人が戻り始め、洞窟住宅がホテル、店、レストラン等になったり。マテーラの洞窟が他の洞窟等と大きく異なるのは、「現在も利用されて人が住んでいる」ということです。
近々封切り予定の映画『新ベンハー』はここで撮影がなされたということです。古代そのものの様相、セット撮影より迫力があること間違いないと思います。見たいと思います。

ナポリ・ソレント(白濱)

ソレント1ソレント2
 19日、ローマ観光後一路バスでナポリへ(約230km)。途中夕食を取り、ホテル到着21:45。19,20日とナポリに連泊。
「ナポリを見てから死ね」といわれておりますが、今回の行程2日間とも夜遅くホテルに入り、朝早く出発というスケジュールのため、ナポリの市内は、もの凄い車の渋滞の中、車窓から夜の街とライトアップされた卵城とオペラハウスを見ただけでした。ナポリは、カプリ島(→青の洞窟)、岩窟住居のマテーラ、とんがり帽子住居のアルベロベッロ、“帰れソレント”のソレント、地中海の楽園のアマルフィ、そしてポンペイ等の観光の拠点となっている100万都市。紀元前ギリシャの植民地に始まり、スペイン、フランスなど2000年の間多くの統治者が変わり、多くの文化が混ざり合い、現在でも混沌とした街、治安の悪さでも有名な地域といわれております(ガイドブック、添乗員の話など)。
ナポリ近郊のソレントでは市の中心地に既にクリスマスツリーが飾り付けられておりました(写真)。
なお、ナポリ市(ベスピ火山)と鹿児島市(桜島)は姉妹都市です。

バチカン市国(白濱)

サンペトロ0サンペトロ1
 バチカン市国は1923年イタリアから独立(ラテラノ条約締結)、ローマ法王がいる世界最小の独立国、人口826人(2014.9現在)、広さは日比谷公園の約3倍弱、現在の法王は第266代のフランシスコ法王(イタリア系アルゼンチン人)。
 サン・ピエトロ大聖堂とサン・ピエトロ広場、広場ではクリスマスの準備のため大きなもみの木のツリーの準備中でした。大聖堂に入る時には空港の時のような手荷物検査がありました。
349年コンスタンチヌス1世が建立、2度の大火を経ており、現在の大聖堂は1506年から建設が始まり、ラファエロやミケランジェロのもと竣工しております。上から2番目の部屋のバルコニー、法王が公式行事の際お顔を出されるバルコニーです。バチカン市国には軍隊はなく、警備は警察とスイス衛兵(最古のスイス傭兵隊由来、派手で奇抜ないでたちはミケランジェロによるデザインといわれております)により行われております。サンペットロ寺院2CIMG2727.jpg


ローマ(晴れ)(白濱)

コロッセオコロッセオ2トレビ


 11月19日晴れ。バスで市内観光を兼ねて「コロッセオ」、「トレビの泉」、「サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(真実の口のあるところ)」、「スペイン階段」、及び「バチカン市国」等に寄りながら、・・・。いたるところに古代遺跡が左右に見えます。凱旋門もあります。
 「サンタンジェロ城」もそうですし、「フォロ・ロマーノ(紀元前509~)」、「パンテオン(紀元前27年)」、「カラカラ浴場跡」などなど、日本の弥生時代にすでにあった石の文化の建造物群です。これらは全てオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの「ローマの休日」の中に出てくるところです。
 トレビの泉は16か月の修復工事が終了し11月4日にきれいな姿になったばかりでした。コインを1つ投げれば再び来られる、2つ投げれば、結婚できる、3つ投げれば離婚できる、私は以前来たときに1つ投げ入れておきました。3つ投げて別れられ、2つ投げて再婚出来、1つ投げてまた来る・・ジョークです。今回は1個も投げておりません。

トスカーナ(白濱)

トスカーナサンタンジェロ城

ローママツ0
 フィレンツェからバスでローマに移動(晴れ)。フィレンツェはトスカーナ州の州都、革製品が有名ですし、ブドウ酒やオリーブでも知られております。この地方で作られるブドー酒は国賓級のパーティの際に出されるということでした。フィレンツェからローマに至るトスカーナ地方の田園風景はブドー畑、オリーブ畑が続き、ローマに近づくにつれ、ローマ松、何とも言えない特徴的な松が目立ってきます。いよいよイタリアの首都、ローマに、まずサンタンジェロ城(2世紀:ハドリアヌス帝の霊廟)が車窓から見えてきます

フィレンツェ(白濱)

ドウオモ

ウフティ1
 ピサの斜塔を見て、フィレンツエに入りました。天候はくもりのち晴れ、
フィレンツエも街全体が世界遺産で市中には観光バス等は入れず、郊外のバスターミナルから徒歩25分ほど歩き、市街地に入ります。まず「ウフィッツィ美術館」に。「ヴィーナスの誕生」(ボッティチェリ)やいつも教科書に載っているようなラファエロやミケランジエロ、レオナルド・ダビンチなどの作品が飾ってある美術館です。フラッシュをたかなければ撮影OK。ウフッティ美術館の特徴は、メディチ家が「作品はフィレンツエから出さないこと」を遺言にして市に寄贈したことです。見たければフィレンツエに来いということです。
 フィレンツエは、メディチ家の庇護のもと多くの芸術家が育った「ルネッサンス文化」の中心となったところです。なお、ミケランジェロのダビデ像は同じフィレンツエにあるアカデミア美術館です。
 市の中心地である大聖母教会(ドウオモ)の壁の彫刻も見事です。

プロフィール

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Author:iemsj
こんにちは
私達はNPO国際緊急医療・衛生支援機構IEMS-Japanです

http://www.iems-japan.com/

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